かつて付知の製材工場は、付知川の水と深い結びつきをもっていました。明治中頃までは斧や大型のノコギリを使った手作業での製材が行われていましたが、明治30年代、付知に水を動力源とする製材工場が登場します。付知川から引いた水路の水を使って水車を回し、丸鋸を動かしました。
この地にあった入屋製材も、水車を利用していた製材工場の一つです。山裾を流れる西股用水の激しい落差が、水車を動かすのに活躍しました。「おんぽいの湯」の入り口を過ぎて奥へ進むと、今でも変わらない西股用水の姿を見ることができます。
付知川の水とそれを運ぶ水路は、暮らしや農業を支えてきただけではありません。電力が普及する以前の木材産業にとっても、非常に重要な資源でした。
参考:付知町史