桜屋町

付知の町名は、広屋林や米屋、藤山のように、大きな家の屋号に由来するという例が少なくありません。同じ苗字をもつ家が多いという土地柄ゆえ、屋号は非常に重要なものであり続けてきました。桜屋町もまた、桜屋を屋号とする家から名付けられています。

明治13年に付知と王滝村を結ぶ御嶽道が整備されると、明治期の付知は宿場町にも似た賑わいを見せました。一番の商業地は広屋林の辺りでしたが、街道沿いの大きな家の周りにも少しずつ商店や宿屋が集まり、ここでも桜屋を中心に宿屋や菓子屋、八百屋、製材所などがまとまって立地していました。この場所も多くの旅人が体を休めた宿の一軒であり、その後歯科医院として開業していたという歴史があります。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次