野尻

尾張藩の支配下にあった江戸時代、付知の木曽ひのきを主とする優良材は、付知川と木曽川を利用して名古屋熱田の白鳥貯木場へと運ばれました。この「川狩」と呼ばれる河川流送は、明治に入り付知の森林が皇室財産の御料林となってからも継承されました。

大正13年、下付知と中津町を結ぶ北恵那鉄道が開業します。木曽川中流域に建設された大井ダムが木材を堰き止めてしまうことの見返りに、大同電力の出資で代替インフラとして敷設されました。さらに昭和13年から下付知を起点とする森林鉄道も開通し、山から切り出された木材は森林鉄道で下付知貯木場へ、そして北恵那鉄道の貨車へと載せ替えられ、中津川からさらに大都市へと運ばれました。

参考:付知町史

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